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詩吟において「アクセント」はどういう意義を持っているかを考えようと思います。
1.日本語の「アクセント」の特徴
日本語の「アクセント」は音の高さの変化で表されます。ちなみに英語の場合は音の強さです。
2.標準アクセント
テレビやラジオのナウンサーが喋っているの共通語であり、そのアクセントは「標準アクセント」です。
標準アクセントの特徴の一つは「最初の語と次の語とは必ずの音の高さが異なる」です。
2.「アクセント」の重要性
関西弁のセリフを関東弁のアクセントで喋喋ったのを聴くと「掻痒感」といえば大げさですが、嫌な感じがします。関東の人はこの逆でも同じように感ずるのではないかと思います。
それほど「アクセント」の影響は大きいのです。
3.「アクセント」の違いと、聞く人の理解度
ある国語辞典では辞典に記載されている殆どの単語にアクセントの区別が分かる記号がつけられています。
そして、その解説でアクセントの重要さについて「正しいアクセントを用いないと意味が通じないことがある」と言う見解が述べられています。
私自身そういう経験はありません。ただ、違和感を感ずるだけです。
テレビ放送のアナウンサーが共通語を標準アクセントで喋っていれば何の違和感もありませんが、もしも、関西弁の「アクセント」で喋ったら関東の人達だけではなく、関西の人達も違和感を持つことでしょう。
公の場では共通語と標準アクセントが日本全国に共通する言語として、日本人全員が感覚的にも認めているものと言えると思います。ただし、耳で聞く場合だけです。
4.歌の場合
童謡、唱歌、歌曲、歌謡曲、Etc.。これらは日本語の詩に旋律を付けたものですね。
中には旋律に日本語を当てはめる場合がありますが、順序が逆になるだけです。
歌詞があってこれに曲をつける場合、先ず歌詞を構成する単語それぞれのアクセントが調べられます。
日本語の「アクセント」を尊重して旋律を作るためには、この音の高さの変化で表される「アクセント」を尊重する。
と言うとは、そのアクセントの音の変化に対応した旋律をつける、ということです。
そしてそのアクセントを尊重して旋律が作られます。
若い頃に一度作曲したことがあります。出来上がった曲を歌ってみて何かおかしいんです。
分かったことはアクセントが関西弁のそれだったからなのです。
私は神戸に生まれ育ちましが、普段話す言葉も、共通語が書かれた文章を朗読するときも「関西弁のアクセント」だったのです。
当時は関東と関西でアクセントが違う、ということも正しく認識していなかったのです。それでも「何かおかしい」とは気がついたのです。
5.詩吟の場合
詩吟も人に聞かせるために吟ずるのであれば当然ながら
「共通語と標準アクセントを用いるのが妥当である」
と言えます。
これがこの項での結論ですが、現実にはそう簡単ではありません。
6.詩吟の場合
前述のように、「歌」の場合にはメロディーに「アクセント」が盛り込まれているので、歌う人が「アクセント」を考慮する必要がなかっのだす。
詩吟の場合、「アクセント」の必要性を強調しなければならないのは、通常の吟譜には「アクセント」記号が付けられないのが普通なので、吟者自身が正しいアクセントを使って吟ずる必要があるからなのです。
「アクセント」記号を付けた吟譜でもその記号を正確に吟に表現するにはそれなりの訓練が必要です。
「アクセント」の重要性を理解している人ならばその訓練をすることに積極的でしょう。
一方、「アクセント」の重要性を軽視する人は訓練する消極的でしょう。
どちらの立場になるのかは貴方次第ですが、より正しい方をか選ぶことを期待します。
「アクセント」記号のない吟譜で吟ずる場合はどうするか。
1)関東育ちの人
自分の間隔に基づく「アクセント」で吟じても多くは問題ないでしょう。ただ、前述の「第1語と第2語との音の高さは必ず異なる」という規則を忘れないでください。
2)関西育ちの人
「アクセント」記号のない吟譜で、何の努力なしに正確な「アクセント」で吟ずるのは実際上不可能です。
そこでどのように対処するか、
@標準アクセント辞典やアクセント記号の付いた国語辞典で調べてアクセントを確定し、それに基づいて吟ずる。これが最もオーソドックであり、また最も努力を要する方法です。
Aちゃんと吟ずることのできる人に教わり真似をする。その人が正しいかどうかは分かりませんが。自分の感覚に基づいたアクセントで吟ずる。例えば、関西弁の人は関西弁のアクセントで。
Cアクセントを無視する。私がいた教場でそういう人がいました。しかし、当然のことながら先生に修正させられました。結果はAになりました。
参考までに「日本語のアクセント」に関するウェブページを紹介します。
いずれも検索エンジン「google」で検索したものです。
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