Lesson5 漢詩吟詩の構成(解説)
   一応はさらりと読んでみてください。
 理解しようと一生懸命読んで頂く必要はありません。
 知らなくても吟ずるのに何の支障もありません。
 また、数多くの漢詩を覚えるうちに自然と理解するようになります。
 構成について疑問が出たら、そのときは疑問に該当するところをじっくり読んでくだされば結構です。

目次
1.初めに
2.漢詩読み下し文の小節への分割
3.奇数句と次の偶数句とからなる2句の組み合わせの比較
4.偶数句の構成について
5. 追記(絶句第1句では「フ」から初め最初の節の中で「ミ」で終わるのが原則)

1.初めに
 詩吟は「詩を複数の小節に分け、その小節の最後の母音を延ばすとともに、節を付ける」と定義することができます。
詩吟に用いられる「詩」には、漢詩の読みくだし文、俳句、和歌(短歌)、新体詩があります。
新体詩とは漢詩、和歌、俳句以外の詩だと定義して良いでしょう。勿論、日本語で書かれた詩であることが条件ですが。
 ただ、何といっても漢詩の読みくだし文が詩吟の最も重要でかつ最も多いものです。
もともと、詩吟は漢詩の読みくだし文をを対象とした歌唱芸術だったのでしょう。
それが時代とともに俳句、和歌、そして新体詩にもその対象を拡張していったものとお思われます。
ちなみに、新体詩の例としては、宮沢「雨にも負けず風にもかけず」が有名です。

 漢詩は偶数の句から成り立っています。多くは、4句、8句ですが、もっと長いのもあります。
 唐の時代以降に韻を含む形式が確立されて、その以後は4句のは絶句、8句のは律詩と呼ばれています。
 唐代以前の漢詩は古詩と一括されていますが、読みくだし文になれば韻は何の関係もないので、このページでは便宜上4句詩は絶句、8句詩は律詩と称します。6句のものもたまにあり、これは三体詩と呼ばれています。
 一つの句を構成する漢字の数は5と7とがあって、前者は五言、後者は七言と呼ばれます。
 例えば、五言絶句、五言律詩、七言絶句、七言律詩、などです。

2.漢詩読み下し文の小節への分割
 読みくだし文において、その構成は「二句を3節に分かつ」という原則があります。
また、一つの節は1乃至3の小節からなっています。
 又、「一節を一息で吟ずる」という言葉もあります。簡単にして「二句を三息で吟ず」とも言われます。

 流派によって、これらの意義が薄らいでいる例があり、また一応守っている流派もあります。
しかし、私の知る限り「二句三息」を厳密に守っている吟を聞いたことがありません。古いレコードは別にして。
 私が所属していたことのある流派では宗家が「二句を3節に分かつ」を放棄していたように思われます。明言していた分けではありませんが。
 ただ、読み下し文を最終的に小節に区分するにはやはり「二句を3節に分かつ」が基本になっています。
 今まで勉強してきた漢詩がどのうよな節、小節でなりたっているかを改めて記します。
小節は1空字で、節は』で、また句は/で、それぞれ区分けしてあります。
小節ごとに余韻が付けられているのはこれまでの稽古の結果からも明らかでしょう。

       川中島
鞭声 粛々』 夜河を 渡る/ 暁に見る』 千兵の 大牙を 擁するを』   (4,4)→(2,3,3)
遺恨 十年』 一剣を 磨き/ 流星』 光低 長蛇を 逸す』          (4,4)→(2,3,3)

       富士山
仙客 来たり遊ぶ』  雲外の 頂き/ 神竜』 住み老ゆ 洞中の 渕』      (4,4)→(2,3,3)
雪は がん素の如く』  煙は 柄の如し/ 白扇』 逆しまに懸かる 東海の 天』  (4,4)→(2,3,3) 

       静夜思
牀前』 月光を 看る/ 疑うらくは』 是れ 地上の 霜かと』        (3,4)→(1,3,3) 
頭を 挙げては』 山河を 望み/ 頭を』 低れては 故郷を 思う』    (4,4)→(2,3,3)

      勧学
盛年』 重ねて 来らず/ 一日』 再び 晨 なり難し』        (3,4)→(1,3,3)  
時に 及んで』 当に勉励 すべし/ 歳月は』 人を 待たず』   (4,3)→(2,3,2) 

  右側の括弧内の数列は、始めのが句ごとの小節の数、後のが節ごとの小節の数です。
 多くの詩ではそれぞれの句が4つの小節に分かたれるのが普通です。
すなわち、「中島」、「富士山」の構成が一般的と言えます。
一方、1つの句が3つの小節にしか分けられない場合があります。
「静夜思」の第一区はどうしても3つの小節にしか分けられませんよね。
 このような場合には第一節は一つの小節で構成され、そのため「フーーミーー」の一段下げのゆり止めになるのです。
 「勧学」では、第4区が3小節ですが、4小節には分けることができませんよね。そのため、第3,4句の最後の節は2小節からなり、その結果、「人を」で一つの小節だけで主音から高音まで変化させるという非常手段を講じているわけです。
同じような小節の数の場合で、第4区の第一小節(第2節の最終小節)を低音から中音に変化させる余韻を採用する場合もあります。中音の吟変わり、低音からの三段上げなどです。

3.奇数句と次の偶数句とからなる2句の組み合わせの比較、主に奇数句について
 ここまでは奇数句とその次の偶数句の2つの句を3節に分かつという観点からの分析でした。
 次に絶句の場合の第1,2句の組み合わせ(以下これを第1組と呼びます)、第3,4句の組合わせ(第2組)との対比はどうなるのかを検討します。
 第1組の最初は中音から、第2組は高音から始まります。
例外は殆どありません。1つだけあった筈ですが定かには記憶していません。
 
 ところで、律詩は8区からなるから4つの組からなっています。
 4つの組のうちの1番目の組は中音から始めるのが殆どです。この点は絶句と同じです。
 一方、第4句は高音から始まるのが一般です。例外を知りません。この点絶句と同じです。
 第2,3後はどうなのでしょうか。全部高音からでも低音からでもありせん。変化を求めるのが一般です。
 変化をつけるために「中山」という特別な余韻も用意されているのです。
 「中山」は「ラーーシドーシラーフ」という節調です。「高山」はシから始まって「1上2下2下」でミまで下げる余韻であり、「低山」はラから始まってミまで下げる双方とも主に「下げ」の余韻ですが、「中山」はラから始まるけれどドまで上げるという点とフで下げを止めるという2点が「高山」や「低山」と異なる点です。そして最も大きな違いは「中山」は組の最初の小節に使用される、ということです。
 もう一つは最初の節の小節が1つの場合で、このときはドからの「2段下げ」とするのが普通です。

 結局、組の最初の節を次のように分類することができます。
1)中音から始まる2小節
2)中音から始まる1小節
   これらは節は主音「ミ」で終わる。
3)高音から始まる2小節
4)高音から始まる1小節
  これらの節は高音「ラ」で終わる。
5)「中山」で始める2小節
  2小節目は「フ」からの1段下げで「ミ」で終わる。
となります。
 1組目は中音から、4組目(最後の組)は高音(絶句の2組目と同じ)から始めるのが普通なので、譜付け者(音楽の作曲者に相当)の選択の自由度は2組目と3組目に何を選ぶかにあると言えます。

 4.偶数句の構成について
 これまでの構成は奇数句を主に対象としてきましたが、次に偶数句について検討します。
偶数句の構成は、低音から始まり高音に移った上で主音にもどって延ばして終わる、というのが基本であり、かつ例外はありません。奇数句の構成とは無関係です。DE
 1)最後の節が3小節からなる最も一般的な構成の場合。
  前節の最後の小節(偶数句の最初の小節)は常に低音(シ)のゆり止めです。
第1小節で3つの余韻が選択されます。
 @中音ゆり止め(ミーーフミ)
 A中音ゆり上げ(ミーーフラ・)
 B中音2段上げ(ミーーフラーー)
 C中音三段上げ(ミーーフラーシドーシーー)
これらに対応する第2小節は、番号を同じ組み合わせで、次の「山」と対応します。
 @「低山」
 A「低山」
 B「高山」
 C「大山」

 更に、3)、4)は絶句でも律詩でも最後の句にだけ適用されるのが普通です。
それ以外の句、すなわち絶句の第2句、律詩の第1,2,3の組の偶数句は全て1),2)が適用されます。

 2)最後の節が2小節からなる場合
 多くの場合、その前の小節で低音から主音に移し、後は1.と同じです。低音から中音に移るめの余韻は前述の通りです。
例外として、前の小節は普通の低音のゆり止めで、最後の節の第1小節で中音ミから高音に移ってから「低山」に移る、という構成が採用されることもあります。
 最終句で「高山」、更には「大山」が採用されるのは、より「劇的な結び」を意図するからです。
尚、岳精流教本では90%以上の詩の最後は「高山」で終わっています。したがってその前の小節は「中音2段上げ」が採用されています。
 岳風流教本では1)と3)との採用比率は半々位です( 2)を最終区に採用することはありません)。
 「三段上げ」と「大山」の組み合わせはそんなに多くはありません。やはり「天下の宝刀」は頻繁に抜いたら有り難みがなくなるのでしょう。

5. 追記(絶句第1句では「フ」から初め最初の節の中で「ミ」で終わるのが原則)
 最後に、一つ言っておきたいことがあります。
 ある詩吟コンクールで一人の審査員の批評の中にあったのですが、
  『中音から始まる奇数句においては、主音の一つ上の「フ」から始め、その節の中で「ミ」に下げる、のが原則』
なのだそうです(コンクールでは絶句が吟じられるのでここでいう奇数句とは第1句のことですが)。
 多くはそうなっているのですが、そうでない場合もあります。また、「フ」から始めるはずが「フ」と「ミ」の中間の高さの不安定な音になってしまっている、という吟者もいます。原則をちゃんとわきまえていればそういうことはないと思うのですが。
 「富士山」は実は私の所属していた流派では「ミ」から始まっているんですよね。で、LESSON3で表示した5線吟譜では原則に則っとるよう変更してあります。

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